え、僕ですか?

感じたことをそのまま

え、僕ですか?

紅白出場歌手 Mr.Children出場なし NHKあんにゃろー

「第67回NHK紅白歌合戦

出場歌手46組が決まったとのことで、今年もそうそうたる顔ぶれです。残念ながらSMAPは出場なし、僕的に嬉しかったのは、桐谷健太さんと欅坂46の出場が決まったことですね。(こんなこと書いてるけど、ガキ使見んだろ。どうせお前。いや、好きなアーティストはしっかりチャンネル切り替えて見るしー)

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で、問題なのは今年もMr.Childrenがでないことなんですよ。最近ではNew Single「ヒカリノアトリエ」の発売が決定しましたよね。

 

さらにこの曲、朝ドラの「べっぴんさん」の主題歌に大抜擢されたのです。あの子供からお年寄りに愛される朝ドラに。(僕見てません。ごめんなさい。)

 

で、ミスチルファンは思うのです。「こりゃーー紅白決まったぞっ!」って

しかし、蓋を開けてみれば今年も出場なし。

ふぁーーーー、まぁ分かってたんですけど、そうですか。今年も出場なしですか。

ファン心理なんだろうけど、なんだかんだ言って、紅白で歌ってるところを見たい希望がある。

 

でね、紅白過去に出場機会あんのかい?って疑問に思うわけです。はい。ありますよー。

「第59回NHK紅白歌合戦」です。曲は「GIFT」

一番きれいな色ってナンだろ (水色!)

で有名なあの曲です。

NHK北京オリンピックパラリンピック中継のテーマソングを担当したのが決め手だったそうです。

ある週刊誌では、その年他界した父親が紅白を好きだったから出場したとの記事を書いていたそうですが、真意は不明。

出場しない理由

ここでね、ある疑問が浮かぶんです。(名探偵なんで)

昔からあんな活躍してるのに、2008年が初出場?なんでなんだよ。

NHKどうかしてるぜー

当然ながら、NHKに避難罵声を浴びせるのです。僕は。一人で・・・

 

 

もうお気づきの方もいると思いますが、ミスチルが紅白に出場しないのは理由があるんですよ。

ボーカルの桜井さんが、

音楽で勝敗を決める番組に出演したくない

との理由で出場辞退をしていたんです。危うく、その理由を知らなかった中学生時代の僕はNHKを爆破するところでした。ホントに良かった。

 

「まぁーそうだねー。確かに最後は紅か白か決着つけるもんねー。」と、当時の僕は簡単に納得してしまいました。

ちなみに、2008年の「GIFT」は別スタジオから歌ったもので、桜井さんの服は紅と白を混ぜ合わせた桃色で出ました。さすが桜井さん。そうゆうとこ、しびれるぜ。(ミスチルは白組ですよー)

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ってことで、Mr.Childrenの出場はありませんが、来年も精いっぱい応援しょうミスチルを。あと、紅白にでる歌手の皆さんも応援しよう。

ちなみに今年は白組勝ちます。なんとなく、なんとなくね。

「あー、今年は星野源だけみよ・・・」

Mr.Children タガタメ 解釈 {誰のために戦っているの?}

Mr.Children「タガタメ」from Stadium Tour 2015 未完

 

Mr.Children タガタメ

 まず一回聞いてほしいです。

実はこの曲、僕も久しぶりに聴いたんですけど、昔聴いたタガタメとまったく違うフレーズが頭の中に流れてきました。

シングル曲には収録されていなくて、アルバムのみに収録されてる曲です。ここまで、桜井さんの思いが直球に伝わってくると、いろいろ考えっちゃてブログに書こうかなってなりました。

 

2004年4月7日リリース

シフクノオト

Mr.Children 11枚目のアルバムに収録されています。 

 

2004年~.2005年

日清食品カップヌードル”NO BORDER"」CMソング

愛・地球博「国際赤十字赤新月パビリオン」イメージソング 

2004年っていったら、僕はまだ小学生、CMソングに使われてたことなんて、正直知らなかったです。

 

今回は歌詞をちょくちょく書きながら、どんなことを伝えたいのか、僕なりに解釈しようかなって思います。

 

タガタメの意味

ディカプリオの出世作なら

これには、さまざまな意見があるようで、「タイタニック」、「ギルバート・グレイプ」、「ロミオとジュリエット」などが出世作にあたるようです。

 

この星を見てるのは~

星空って世界に共通しているもので、そこには人種の違いも、国の違いもない。でも、その星空の下では、幸せを育む者もいれば、何かと戦って涙をながしている者もいる。

誰が見たって、綺麗な星の下でなんでこんなにも違いが・・・

 

子供らを被害者に加害者にもせずに~涙を流し、瞼を腫らし、祈るほかにないのか?

文字に起こしてみると、なかなか厳しい言葉です。戦争、少年犯罪、いじめ、すべての事に訴えかけていると思います。戦争はあまり馴染みないものですが、子供の頃って特にいじめに限って言えば、被害者意識、加害者意識ってどちらもまだあんまり分かっていなくて、いつのまにかそばにあるものだと思います。いつのまにか誰かを傷つけ、いつのまにか誰かに傷つけられ、いつのまにか自分が巻き込まれている。

そうなった時、僕たち大人は涙を流して、瞼を腫らして、祈るほかにないのか?それぐらいしかできることは無いのか。

ただただ抱き合って、肩叩き抱き合って、手を取って抱き合って。

 

左の人右の人~僕らは連鎖する生き物だよ

ちょっと難しい表現だなって感じました。いじめとか戦争って結局、どっちが悪いかって簡単に裁くことができるならすでになくなってるものだと思うんです。でも片一方が悪いなんて言えない。繋がりが消えるのが怖いから。なら見て見ぬふりをしよう。こうやって連鎖していくもんなんだよ、いじめや戦争は。ってことかな?

 

この世界に潜む 怒りや悲しみに ~  何も考えないであるこう

 桜井さんの理想が書かれているのかなと思います。今後の人生で、どれだけの怒りや悲しみを目にするんだろう。それを見るたび僕たちは許すことができるのかな?そんなことも気にすることなく、ただ犬と散歩して、晴れた空の下、公園で遊ぶことが当たり前な世界なら、どれだけ幸せなんだろう。

 

タタカッテ タタカッテ (戦って 戦って)

タガタメ タタカッテ (誰がため 戦って)

タタッカッテ ダレ カッタ (戦って 誰 勝った?)

タガタメダ タガタメダ (誰がためだ? 誰がためだ?)

タガタメ タタカッタ (誰がため戦った?)

僕たちは、何のために戦っているのだろう。何のために戦争をして、いじめて、傷つけられているのだろう。誰のために戦争をしてきたの。誰のために犯罪を犯すの。誰のためにいじめるの、いじめられるの。そこに勝ち負けはあった?

必死の訴えかけだと思います。

 

子供らを被害者に加害者にもせずに~愛すこと以外ない

 もし子供が知らないうちに、戦争に巻き込まれているなら、いじめている側なら、いじめられている側なら、犯罪をしてしまったなら、そうなってしまったならその子を助けるために結局出来ることは、愛すこと以外ないってこと。怒ることだって愛、許すことだって愛、家族のために働いている父親も愛、家族のために晩御飯を作ってる母親も愛。この「愛すこと」の言葉の意味は人それぞれだと思いますね。

 

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解釈してみて感じたこと

この桜井さんの書いた詞を、僕なりに解釈・解読してみて感じたことは、一見、戦争やいじめ、犯罪へのメッセージや訴えに聞こえるけど、それも含んだ上での愛することへの難しさについての詞なのかなと感じております。

「愛さえあれば地球は救える」

「愛さえあれば幸せ」

「愛さえあれば争いはなくなる」

みたいなフレーズを見たり聞いたりすること、人生で一度はありますよね。

その度に僕は、愛だけでなんとかなるわけないだろっていつも思ってしまいます。

でも、違う見方をすれば

「愛することができれば地球は救える」

「愛することことができれば幸せ」

「愛することができれば争いはなくなる」

ってことなんです。愛することを人が、簡単に与えられて、簡単に受け取ることができているなら、「とっくに世の中から争いごとや不幸はなくなっているんですよ」「だから愛することって難しいよね」って桜井さんは伝えたかったんじゃないかな?

いやー中高生と性欲だけで動いていた僕が、こんなに愛について語るなんて考え深いものがあります。てかまだ、大学生だし愛なんか語れる人間じゃないんだけどね。

是非、タガタメを通して今一度、いろいろ考えてみてくだい。

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